風呂の水を抜こうとしてふと鏡を見たら自分の顔が真っ白だった。昼間ヴィスコンティの描く老人に着いて考えていたからそう思ったのかもしれない。他人を通して相対的に時間を認知する時、そこにはある種の哀しみがあり、それが時に憐れっぽさを演出するのだけれど、それを別の人間がシアターの椅子に座ってスクリーンに見ている、そういう人間の構図。