超越的現象学
改めて2匹の蛇が互いの尻尾(ウクライナ)をめぐって共食いの矛盾にイラついてそのとばっちりを日本に向けている。勿論それは昔から黒海は両方の交易にとって最も重要な要衝でそのためにウクライナは双方の取り合いの歴史を何度も繰り返してきたことは、クリミヤの百年戦争の歴史をみても明らかで、今回互いの利権をめぐってアメリカと欧州の亀裂がNATO内でトランプ氏の言動から表面化してその結果がロシアに対するウクライナ安保に現れ、紛争の長期化にどちらもイライラが募っている、しかも同盟国と云いながらアメリカは日本には天然ガスも原油も安全保障を理由に輸出さえしない、そこで日本はロシアに対して喉から手が出るほどエネルギーが欲しいのが当然で、プーチン氏に近づいてそれを手に入れようとして彼の掌中にハマった。今回西側、ロシア双方からその矛盾の矛先が日本に向けられている、というわけだ。この三つ巴の矛盾が先鋭化してくると、力学は当然立場の弱いほうに向けられる。岸田総理はロシア、欧米双方から攻められ立場は苦しい、しかも外務大臣がわざわざポーランドに出向いてウクライナ難民を僅か20人連れて帰ってきた結果が、よけい西側をイライラさせている。それが日本の保守政治の閉鎖性を世界に向けてアピールして更に日本を苦しい立場に追い込んでいる。それが今回の本来の原因であるアメリカ政治の内部矛盾を覆い隠す格好の材料となって、日本を責め立てる元にしてきている。しかしいくら日本を責め立ててもウクライナの危機は解決はしない。日本はそれをきちんと国際社会に向け説明しなければ立場が苦しくなるばかりだが、悲しいかな<ゼレンスキー氏のような>それを主張できる政治家この国にはいない、これは戦前の日本と同じような状況になり得るが、日本の政治家は単に軍備増強でそれを解決できると思い込んでいる。また戦前の二の舞を踏むだけでそれが国際社会の力の論理の結果で、本当の解決にはならないことは欧米もロシアもよく承知しているはずだが、これは歴史が今までのような戦争で解決できないより深刻な状況は、ロシアの人権委員会からの除名に対する世界の姿勢の結果を見ても明らかで、93か国が除名に賛成したと言っても、反対、棄権の合計80か国を見ればわずか13か国の差でしかない。つまり世界がまともに2分化されている現状はいくら日本を責め立てても解決できる矛盾ではないことは明らか。ここに私の人類が滅亡の淵に立たされている、という主張の根拠があり、このままロシアとNATOが互いの矛盾を角突き合えば、第二次大戦の悲劇の比ではない結果となる。双方この歴史上類を見ない危機に謙虚に向き合う時で、今人類はその剣が峰に立たされている。
大谷選手の騒動でも明らかだが日本人はとかく先に情が走りすぎるきらいがあり、それは詐欺に引っかかりやすいというのも先ず情が走るからであり、その前に理が働けば留まるのに情に突っ走ってブレーキが利かなくなるのは物理的に車の運転でも思考を止めてしまって情に任せてしまうから暴走が起きると考えられる、それは日本人だけに見られる現象という事実からも納得できるのではないか、何故なら車は感情ではなく理で動くものだからであるハハ。よく見られる早とちりなども先に情が走りすぎることから起きると考えれば日本人の早飲み込みも納得がいくだろう。しかしあまりに早急に物事を無反省に飲み込むと、たちまち胸やけを起こす、しかも全員がそういうものの考えだから誰もそれを止める者がいない、今回の大谷騒動がそれを見事に証明して見せた。しかもそれが日本に留まらず国際的な問題となる時代である。そういう日本人の気質が国内の問題に留まらず物議をかます時代になり騒動になると、日本文化は一人日本人の問題では済まなくなる。例えばリニアの騒動にしても結局経済的損失のことを考えれば情に先走ることがいかに大きな損失になるか、事を起こす前に少し考えてから手を付けるかどうか考えれば、今回のような問題は少なくとも先に手を打てたはずであった、後から解決しなければならなくなるとそれがどんな大きな損失になるか、それは詐欺に引っかかるのと同じ結果となる。それでもみんな日本文化は優れていると主張するのか?、もう少し理を働かせて行動する前に考える必要がありはしないか、たとえ良いことだと思えてもそれがほかの問題に波及することを先に考えれば、必ずしも良いことだとは限らないことが分かってくることもあるのだ。ことをおこすのはそれからでも遅くない、国会の議論が何の役にも立たないのは利ばかりが先立ちリスクに対する議論がおろそかになる今の政治の在り方にあり、それが日本全体の損失になることが無視されているからに他ならない、それはむしろ政治的立場による利害というより先に情に走るからではないか、それ以前の問題がなおざりになっている日本文化そのものの欠陥という方が近い、今ある姿に何か問題意識を積み上げると生きづらさを増すばかりだと私は思う、日本は先ずそこからやり直す必要があると思うが如何に。
いよいよアメリカの内戦が飛び火するときが迫っている、今春下院議長にすったもんだの末たどり着いた共和党のマッカーシー氏が台湾を訪問する計画だというニュースが流れ、台湾問題は完全なアメリカ国内問題となり果てた、それにロシア問題の時の安倍元総理のように今度は岸田総理が一枚加わることになる。このために日本は敵基地攻撃のための武器をアメリカから買わされる羽目に陥っている、すべてがアメリカの国内問題から発生している危機で、アメリカの二分された政治の唯一の合意点が対中国脅威論しかないからで、この共和、民主両党の唯一の合意は対中戦争だけだからで、それに日本が加わらされている。そのもとにある日本の弱さがカルト洗脳である。私はこれを断言する、元よりアメリカに弱いのは今に始まったことではない既に明治時代あの暗殺された井伊大老がアメリカと結ばされた屈辱的な米通商条約から日米のこの関係は始まっている。そして1960年代の日米安保はその地位の上下を決定的にさせた。それ以来日本はアメリカの言いなりになっているのは周知のとおり、その結末がこの対中戦争になりつつある。それを岸田氏は国民に「覚悟を」と詰め寄っているのだ。こんな屈辱的な外交を日本の政治は延々と続けてきたのであり、それが今まさに結実しつつある。この危機を国民はいつもの如く他人事のように聞き流し、あの太平洋戦争の悲惨さの更に数倍の末法事態にも全く動じない恐るべき鈍感さは一体誰から教わったのか、勿論自身の弱さ、甘えからである。今更騒いでも何の意味もないが、日本国民はこれまでの大いなるウソに感謝するべきか怒るべきか、天国?(ではないか)の安倍さんにでも聞いてくれ。
今日待ちに待った言葉が出た、長く戦争の後ベトナム人を救済してきた俳優の杉良太郎氏が災害救済システムがないのは政治の怠慢だと仰っておられたが、それは随分優しいお言葉で、これほど災害が頻発する国で災害救護スキームが存在しないのはこの国の政治には統治能力が長い歴史上になかったことを意味し、「国土強靭化」などという言葉は絵に描いた餅どころか絵さえ存在しなかったことを意味する。つまり国民救済という概念さえ存在しなかった「他人事」国家、どころか国家という概念さえつい最近までなかった国だからであろう。この他人事システムこそ日本の国の姿そのものであり、そんな国が原発を持つ事が許されることに人類の悲劇の原点がある。何一つ国家として災害の為のシステム構築がなされていないことのひとつが今日もTVで報道していた災害時の土砂ダムの存在だろう、そんな土砂ダムの存在は既に十数年前に近畿地方で起きた豪雨被害の時に天然土砂ダムが決壊して数十人の犠牲者をだした時点で指摘されていたがその後何の対策もされないまま今回再び騒ぎになっていることで、この国の政治の怠慢は意図的になされてきた歴史そのものと言っても過言ではなく、国民救済システムの皆無はこの国の政治の方針とさえ言える。それが今回政治の在り方の本質契機が同時に起きたことで、政治の在り方と国民生活の被災問題は実は裏表現象だったということを初めて国民が認識できたうえでの深い相関性を関連できたという意味では、いみじくも石川県知事の馳氏が関わった東京オリンピックは当時の安倍総理から「いくらかかってもいいからやれ」と言われ、僅か10日余りのイヴェントに3,4兆円もの費用を出しながら、今後復興に何年掛かるかわからない災害に<いくらかかってもいいから人命を救助しろ、とは言われず>僅か47億円しか用意しない岸田政権の姿勢に馳知事は何を思うのか、この災害救助スキームの存在自体がないという政治の姿が自分たちの懐さえ膨らませればよいという利権政治の本性が、実は表裏関係だったのだと。今更ながら必死に寄付を呼びかけ抗弁するメディアもこれから日本がどうやって存在していくのか、という問題と人々が結び付けて行けることにつながる契機となるであろう、日本を変えるということがどんな意味を持っているか具体的な姿として?。
先日私が夫を亡くし一人になった女性の困窮ぶりをこのブログに書いたら早速毎日新聞がその問題を取り上げていた、この問題の根源は何処にあるのか答えは簡単、男中心社会、それも世帯中心社会が原因だからである。女性は男の付属物であり一人の人間として認められていない現実がこの国の全ての欠落の基で因みにマイナンバーカードが何故うまく機能しないのかも原因がここにある。家族単位で行政機能が作られている社会に個人番号で管理するシステムをいきなり持ち込んでうまく機能するはずがない、そんなことも分からずにマイナンバーカードを導入する政治家のモノ知らず加減が混乱を作り出す、これこそまさに「他人事国家体制」のコワサ。どうせやるなら国のシステムをすべて個人単位に変えてからしないといつまで経ってもマイナカードシステムなど機能しないのは当たり前で、個人が主体なら本人が存在さえすればカードは生かされるが、女性が夫と別居したり離婚した途端家計が別々になると夫の住所や苗字が生かされなくなり子供も同様になり、マイナカードなど全く役に立たなくなる。デジタル社会にするならこの国のシステムを家族、世帯単位から個人単位にすべて変えなければ不可能であり、この際女性子供全てを個人として登録し、一人の人間として扱う社会に変えることである。そうしなければマイナカードに限らず年金や減税更に扶養家族問題の解消等すべてデジタル仕様社会にはならない、そして前にも書いたが、独自の日本語表記を新たに導入すべきだ、そうすれば様々な混乱や漢字文化の国と同じコンピューター上の間違いも起きないし犯罪も防ぐことが出来、しかも教育のデジタル化も無駄な時間の浪費もなく、合理的な社会が出来上がることは間違いない、政治も行政もそろそろそういう理屈が理解できない人材には退場願わないといつまでも1500年前から変わらない制度のままで動く筈がない。早い話が集団社会から個人単位の社会に変えればデジタル化も簡単になるし、個人の尊厳も保つ国に変わる。そうしなければ日本は21世紀の世界についていけない、マイナカードの混乱がそれを見事に表している。そうすれば女性の人格も男と同等にならざるを得ないし、誹謗中傷(血も涙もないこと、つまり他人事文化の象徴)、性の奴隷にもなることもない。すぐにそれを実行しないと日本はもう相当後れを取っていることはお判りだろう。早くそうすることが、文化創造上でも必要なことがもう分かるだろう。そしてついでにもう一言、日本はアメリカから日本の為だと言われてもそのまま信用しないことだ、何故ならそういう場合大概アメリカの為だからハハ。そしてこのままでは日本の人権否定原理と愚か者選出体制そのもの(今の国会の与党と補完党のただ利権欲しいが為の醜さを見よ)がこの国を破滅へと導くことになるよ。
株価が4万円を超えて市場は大騒ぎだ、ご存じのようにその株価を押し上げているのは半導体、日本がこの半導体の御利益に素直に喜べないのは過去何度も痛い目に遭っているからで、それもみなさんご存じの通り、東芝がこんなにも落ち目になった理由が半導体投資の失敗によるものでしかもそれが日本政府の強い無理押しだった経緯は知らない経済人はいない、今回もその二の舞になるのではという恐れが株価の4万越えを素直に喜べない理由で、半導体の製品開発には巨額の設備投資が必要で、日本のように半導体を開発してもそれを用いて得る製品、スマホのような高額の完成品そのものがないことがその理由で、いくら半導体を開発しても部品として売るだけでは新製品の開発競争に足るだけの利益は得られないのがその理由、対中国との激しい開発競争をアメリカから持ち掛けられ半強制的に日本にその開発を迫られてきた日本政府のいわば負の歴史が今回も重くのしかかっていることが、素直に喜べない原因であり、半導体を使った製品の強みを持たない謂わば下請けのような日本の半導体産業は株価だけが上がっても産業としての利益に繋がらない宿命が今回もまた東芝の二の舞になるのでは、という懸念が日本市場を疑心暗鬼にしている。しかも今年は大統領選挙の年で中国との関係が全く逆転する可能性さえ考えられる中、親会社の台湾企業がその結果どうなるのか、誰にもわからない。単に日本文化の在り方だけではなく歴史が大きく左右されかねない問題を孕む今回の株価騒ぎ、日本政府のかじ取りの歴史的意味を問われることになる。<それにしても日本の国会ってウソつきを法律作って守る場所だったんだね、えへへ>、だって政倫審で国民の86㌫がそう思っているんだもの。
超越的現象学
いやぁ驚いたね、川口市の立てこもり事件の長久保某容疑者(?)の達筆、私は自分がヘビがのたくったような字しか書けないのであの容姿(失礼)からは想像できない彼を取材していたジャーナリストとの手紙の文には感心した。およそ彼の文と行動との釣り合いの取れないものに私は悲哀すら感じざるを得ない。およそ世の中の犯罪でか弱い女性を人質にとるという卑劣さには彼の性格的な弱さが表されているのだろう。それはあの大阪の26人もの犠牲者を出した精神科医院の放火事件にも共通するが、この種の犯罪の最たるものがあのオウム真理教事件といえるだろう。かく言う私も実は危ない年ごろがあった、おそらく日本人でそういう時期を持たなかった人間は居ないのではないか、と私は密かに想っている。それは私のブログを読まれている人も感じておられるのかもしれないが、そのちょうど危ない時期に私は幸運にも人に巡り合い、書物に巡り合ってその難を逃れて今に至っているというのが偽らざる心情である、ハハ。これまでも何度かその問題には触れてきた、日本社会の姿、その極限は太平洋戦争の結末であり、そのままほ放っておくと日本社会はとてつもない悲惨な状況になるのは既に歴史が証明しており、今更私が説明する必要もない、しかしてその悲惨さをおそらくあの長久保容疑者も指摘したかったのではないだろうか、ただ不幸なことに彼は自分のこの社会において身の置き所を失い、あんな犯罪に陥らざるを得なくなったこと、それはオウムの故浅原死刑囚も同じことで、単刀直入に言えば、この日本社会の狂気(否定の原理)が彼らを犯罪者に追い詰めてしまうものを内包しているからに他ならない。それは種類こそ違うが今回の持続化給付詐欺事件もこの政策の在り方が見方を変えれば彼らを犯罪者に仕立て上げてしまった、とも言えなくもあるまい。その姿は性善説によるものなどという生易しいものではなく、私がこのブログを通してずっと警告し続けてきた、日本社会の危うさであり国際社会と相いれない狂気の姿を内包している姿と云えるのである。短いブログの文章でこれを説明するには大変で、それはこれまでの私のブログを読んでいただくしかないが、今の日本社会の体制から見ればそれこそ私こそクルッテいるようにしか見えないだろう、と私は常日頃考え、そのために文章の在り方に気を付けこれまでどうしたら人々に気づいてもらえるかを必死に考えてきた。それを救ってくれたのが青春時代に私を文学に眼を開かせてくれた父のような存在と、書物、例えば倉田百三の「愛と認識との出発」であり、フッサールの「超越論」であり、またアランの「芸術論集」、更に詩人の金子みすゞの詩であった。金子みすゞの昼間の見えない星の詩こそ、真実こそ見えないがそこにちゃんとあるんだよ、<明るければすべてが見える>というものではない、ということを私に教えてくれた救い主だった、それで私は自分が<あきめくら>であることに気づいたのだった、アハハ。そんなことより、今の犯罪者を作り上げるこの日本社会の体制、それをどうするか?、解決しないと今後あのオウムサリン事件よりもっと悲惨な核戦争を誘発(自己否定)することになりはしないか?、と私が恐れているのはそこだ。
まさに我田引水(利権の元祖)、他人事文化(リニアの通過)が引き起こした悲劇、古くから言われた言葉(自分の田んぼに水を引き込む)利権(大井川利権)とリニアが静岡を素通りする他人事(利権外れ)、更に政府の国家ビジョンの無策が6年半もの空白を作り何一つ解決が見いだせずに次の世代にバトンを渡すだけの国家プロジェクト。失われた30年がこのまま更に続く象徴のようなリニア問題、これでもこの他人事文化を続けるつもりなんだろうか、さりとて誰一人深刻にこの文化を<何とかしよう>と言い出す者がいない、ハハ。それは能登災害復旧にも見事に見える、大騒ぎするのは辞任劇の静岡県知事の個人的な誹謗中傷の嵐、日本の全ての文化的欠落がこの事件に集中していることはいくら待てども誰も指摘しない、深刻な問題を無意識に逃げ上滑りの見当はずれのことを問題視してすべてをうやむやのうちに済ます原発事故と同じ思考停止(仕方ない)、これが他人事文化の良さ?、だと皆主張する、日本文化の大らかさ柔軟さだと、本当にそうなのか。そしてすべての問題を下へ弱い者へと下ろしていって、自殺者をだしおしまい(モリトモ財務省)、弱い者虐め虐待の文化につながる。少子化の根源的問題をほったらかして「カネをやるから子供を作れ」的政治。だから産まれて来てもほったらかし、育てるのは産んだお前の仕事、あはは、これも基本他人事文化。これで一つの国が成り立つ方が奇跡そのもの、そうは思いませんか皆さん、この悲劇をずっと私は訴えてきた、けれど誰一人「変えよう」と言い出す当時者はいない、自分の利権を失いたくないからだたとえ国が無くなろうと。他人事文化(保守)の終着点がこのリニア問題になり、無用の長物化にならないことを祈るのみ、それがイヤならこの文化を変えて、日本を救うことを考えてみては?。
超越的現象学
埼玉県富士見市の女教師によるカレー混入事件は日本の教育問題を根底から揺るがす事件で、それは日本社会の問題そのものが持つ偏った社会が作り出す特有のものだろうと云える、教師になるのに教員試験を受かりさえすればそれで資格が出来て教員になれるこの国の新卒重視社会の在り方は教師だけでなく日本社会全てに異常な社会構造をもたらしている。それは教師に限らず新卒者でなければ採用を嫌がる日本社会の歪んだ姿が様々な社会のゆがみとなって出ている。今回の事件ももし彼女が一度でも社会経験をして教師になっていたらこんなバカな事件は起こしていなかった可能性が高い。その中には今の日本の教育界という狭い井戸の中の序列制度が哀しいまでの身分保障の姿を持っているからで、教育界の中で何も知らない新人の方が扱いやすく簡単に序列制度に組み込むことが出来る新卒者を最優先したがるのは日本社会全般に組み込まれたこの目に見えない序列制度ゆえの社会構造、つまりアベ保守社会(実は統一教会思想)の悲喜劇と云える。そして今回の事件が示す通り、その序列制度から外された者がどんな行動をとるか、他のブログにも書いたが、序列から外された恐怖のしわ寄せはこの国では自分より弱い者に行く、それがこのカレー混入事件で普通の事件だ、それゆえその者が適正な人物かどうかなど無視されてしまう。安倍元総理の事件がいかに異常な事件かよく理解できる、但し安倍氏が本当に政治家にふさわしい人物だったどうかも無視されていたのは同じ(そこにはこの国の社会的序列と家系的序列が個人にのしかかる)。しかも当日のうちに犯人像が銃マニアによる犯行だという方向性まで示されていたことに、この事件がいかに歴史的なものか、それは普通権力者が殺されたとなればその仲間たちは大騒ぎになるのに今回は声ひとつ出さない、つまり脅すことが出来ない相手であることを彼らは知っていたからに他ならない。しかも国葬にすることをいち早く決めたことに今回カレー混入の反応を見ればその気持ちがすべて表されている(キャリアや適性より序列重視社会の悲劇)。何が言いたいかお分かりだろう。この目に見えない序列社会に軋みが出来たゆえに起きた二つの事件、決して別々の事件ではない、ということを私たちは忘れてはならない。<革命的創造力が生まれない絶望国家> ここまでくればもう解は出たようなものだ。しかもタイミングよく、プーチン氏が外国の政治を変えるためにどこから工面したのか3億ドル以上ものカネを使ったとか、その答えを外国からもらうのか?この国では。
午後9時の時点ではNHKだけだが、群馬県高崎市長選は野党候補の挑戦者が現役市長を破って当選確実だと。自民党系知事とこれから大変だと思うが市民が背中を押して頑張って欲しい、税金面などでの優遇策が受けられなくなることも予想されるから市の運営に影響が出そうであの沖縄のように県にではなく直接市に補助金を配る自公政権のことだからきっと同じような意地悪な手を使うことがあり得る、ただ今回国民全体が自公政治のあからさまな反日政治に気付いたことから、そういうやり口がもう通用しない政治に変えないと日本そのものが世界で取り残されていくことは間違いないことを学んだはずで、日本全体を高崎市のように変えていくことが日本を救うことになる。支持率を見ると能登地震で一時戻りそうだったが、岸田政権の裏金対応が再び支持率を下げている、それは国民がもうその手には乗らないと固く心を決めている証拠でもある。国民が保守政治に苦しんでいるのは、今アメリカでも大統領予備選挙戦が始まっているが、アメリカが今や日本にとってけっして有益なことばかりの国ではなく、言いなりになっている自公政権では決して日本の未来は安全ではないことを、日本国民も理解し始めていると私は考える。というのもロシアーウクライナ、イスラエルーパレスチナ、そして対中国全部アメリカの政治から始まっていることを日本人も理解してきたからに他ならない。それから見てもこのまま日本の政治がアメリカの言いなりの政治を続ければどうなるか?、安倍晋三氏が台湾有事に核を使うことを訴えていた事実が何を意味するか、真剣に考えないとそれこそ他人事で済むわけがなく、広島、長崎の悪夢を日本は再び体験することになる。「戦争はダメだ」と他人事みたいに繰り返すだけでは戦争を回避できない、そのことを日本人は認識し始めていることが、高崎市長選挙に現れ始めた、と言える結果にしないと本当に日本は壊れていく。